新人類でバブル世代の私のお金の話です。
地方都市で自営の両親の元に
4人兄弟の一番上の子として1966年に誕生。
物欲度 ★★☆☆☆
もの心がついた時から、親元から独立するまで、
お金で困ったことはありませんでした。
高度成長期で、きちんと働いたら
その分自由にお金を使える
時代だったからだと思います。
私の卒業後、
下の3人の高校進学、留学、大学進学が重なった
頃に、父から言われた一言を覚えています。
「お父さんは魔法のポケットは持っていない」
ポケットを叩くとビスケットが一つ、、(中略)
叩いてみるたびビスケットが増える、、
そんな風に思っていた、夢見る夢子だった私。
お金に固執しないゆったりとした性格の
甘い考えの持ち主でした。
就職した時、母から下3人の進学で家計は厳しい
「今後は自分のことは、自分でしなさい。」
「学校は出したから、
結婚費用は自分で貯めなさい。」と
宣告されました。
物欲度 ★★★★★
それでも貯金はできなくて、
欲しいものリストが常にいっぱいの状態。
私の借金の返済のため母に50万円借りて、
ラジオ体操のカードのように
マス目を50個書き、
返済した分印鑑を押してもらうことを
した時期があります。
その後の前夫との出会いで
私のお金に対する姿勢が
少し変わりました。
ほんの少しだけ、、
一緒に住み始めてから、
次々と借金の催促状や
裁判所の差し押さえ請求などが
届くようになりました。
びっくりしましたが、
私はまだまだお金に対して甘く
収入もそれなりにあったので、
夜にバイトを追加して
150万円を1年間で返済しました。
彼は収入が少なく、
常に私の収入は彼の2倍以上をキープ。
収入に関係なく
欲しいものは買う彼だったので、
私一人で返済したようなものです。
カードだけは彼から取り上げ、
収入は全て私が管理し、
お小遣い制にしました。
何のかんの理由をつけられると
お金を渡してしまってましたが、
若かったし、
夢を語る前夫の可能性の方が
私にとって重要だったので
気にしてませんでした。
とりあえず借金を返済した後も
お財布は私が握って、
食費などは節約していたつもりでしたが、
二人の浪費癖はなかなか直らず
やっとまとまったお金が残ったと思うと
彼が欲しいものがあると言い出したり、
車の修理や車検があって
お金は出ていきました。
物欲度 ★★★★☆
今思うと、家計簿は付けているのに
家計簿を付ける事に満足して
分析や反省をして今後に生かせなかったし、
年間の特別支出を把握していなかった
行き当たりばったりの家計でした。
<学んだこと>
☆ 家計簿をつけたら、分析と反省をし、
行動に生かす
☆ 年間特別支出を紙に書きだし、
合計金額を割った金額を別口座で毎月積立する
結婚することになった時、
貯金はほぼゼロでしたが、
ウエディングドレスやジュエリー一式は、
彼の希望で購入しました。
教会式の費用、披露宴費用など
全て2人で賄いました。
他にもケーキもオーダーしたり、
カメラマンも自分たちで決めたりと拘りましたが、
予算を立てて、値段の交渉をしました。
(ホテルのドレス持ち込み料は、
教会からドレスのままホテルへ移動するので、
カットしてもらったり)
平均的な金額ですが、ご祝儀を頂いたことで、
手出しなしで結婚式ができました。
<学んだこと>
☆ 新たなスタートの結婚の時から
マイナススタートしないように
前もって予算化し、できる範囲でする
☆ お金より自分たちの思いやオリジナルにこだわる
結婚が決まった時に親から賃貸を出て
親の所持する空き部屋に引っ越し
お金を貯めるように言われました。
家賃代5万円をそっくりそのまま貯金すれば
良かったんですけれど、、ね。
共働きで収入も十分あり、
(手取額夫10万円強、私20万円~35万円)
独身気分が抜けず友達と遊ぶ生活でした。
物欲度 ★★★★★
独身時代と同じ生活に反省したのか、
夫が家族の形を作りたいと言いだし、
子供ができたことで生活が一変しました。
次回は、「私とお金ストーリー出産と育児」で
続きを書いていきます。
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