子供10歳、私40歳の時の離婚。
10歳は、まだ大人とはいえないけれど、
家庭環境が大きく変化したのに
なぜ、そうなったか?の説明がないのも
子供がさらに不安になると思ったので、
ありのままに離婚理由を告げました。
子供と2人のひとり親生活は、
あんまり以前と変わらず、
淡々と過ぎて行きました。
仕事&ワンオペ育児&家事の生活に
慣れていたから、
生活の流れもほぼ同じ、
生活費は、むしろ楽になったくらいでした。
ただ、私の気持ちは沈んでいまして、
高校時代のやせっぽちの体重に
戻ってしまいました。
一方息子は、
休日や放課後は自転車で出かけて
私の手を煩わすことなく過ごしていました。
作り置きをした時期もありましたが、
1人で食べる事はできなかったようで、
夕方(時には21時位)帰宅する私を
待っていてくれました。
遅い夕飯になり、お風呂も遅くなり、
明日の準備ができなかったり、
寝るのが遅くなったり、
子供に負担はかけたかと
反省しています。
家計簿をつける時間も気力もなく、
そもそも予算もないので、
「毎月決まった固定費を先に取り」
「その残額で生活する」ように
気をつけるくらいしかできませんでした。
カレーのお肉は、牛肉はやめて豚肉に、
購入すべきものは、予算を決めて、
予算内に収まるようにしました。
そういうゲームと自己暗示をかけて、
工夫して乗り切るのも
意外と楽しいものでした。
ひとり親の支援は、
ひとり親手当、給食費や修学旅行費の免除、
入学前の制服やランドセル等の
用具費の支給などがあります。
医療費の自己負担が1割という点も
大変助かりました。
(子供は18歳の3月末迄、
親は子供が20歳になった月迄)
公的支援以外には、
塾代が母子家庭割で2割引になる塾もあり、
活用させて頂きました。
戸籍上は、息子も私の旧姓になっていましたが、
小学校の途中で苗字が変わるのは嫌だという
息子の思いを学校に相談し、
離婚前の名字で小学校生活を送りました。
子供の気持ちを傷つけないように、
給食費の納入袋も
他の生徒さんと同じようにくださり、
空の返却で良い旨の連絡を頂く等
先生のご配慮もありました。
ひとり親になって、
子供を社会全体で育てて頂いたと
思っています。
小学校の卒業式を迎えた時は、
一山超えた安堵感と、
卒業式の会場に1人で出席し、
入学式は夫婦2人で出席した事を思い出し、
本当に離婚したのだと改めて感じ、
ひとり親の孤独を感じました。
離婚後、進学費用の事を考えて、
固定の給料制では難しいと思い、
フルコミッションの保険代理店へ転職し、
収入アップを計りました。
最初はフルコミの重圧におびえましたが、
「数字ではなく行動」と自分に
暗示をかけて、乗り越えました。
転職後半年経ったころから、
手取りが20万円超になり、
右肩上がりで給料が上昇し、
転職して良かったと思いました。
(途中から、ひとり親手当が減額されました)
収入が増えたのはうれしいのですが、
毎月の変動幅が大きかったことが、
困った点でした。
変動幅に振り回されないように、
お給料が少ない月を基準に
生活するようにしました。
お給料が多い月も、少ない月も、
口座に20万円キッチリ残し、
残額は普段使用しない口座へ預けました。
住宅ローンの金利については、
ステップ金利で金利が上がる前に
借り換えをしました。
親の取引先の銀行に相談し
金利も勉強して(下げて)頂きました。
100万円以上貯まる度、
住宅ローンの繰り上げ返済をしました。
学資保険はとうの昔に解約していて、
10歳で加入しても
解約返戻金が元金を割るので、
学資準備は後回しにして、
住宅ローンの返済に注力しました。
息子小学校4年生での離婚は、
心に大きな傷を残したかと思いますが、
私の家族が一丸となって見守ってくれた事は
せめてもの救いだったと思います。
サッカーのクラブチームをやめて
学校の部活の方へ代わってくれた
息子なりの思いやりにも感謝しています。
<学んだこと>
☆ ひとり親の支援は色々ある
☆ 固定費を先取りし、残りで生活する
☆ 予算決め、予算内に収める事の習慣づけ
☆ 給与の変動は、少ない月に合わせて生活
☆ 住宅ローンと学資は、効果が高い方優先
☆ 仕事は、収入面での安定だけではなく、
精神面での安定・子供との生活を守るもの
☆ 仕事を続けることで、
子供との生活を選択する自由が生まれる、
自分で準備できる保険のようなもの
☆ 細々とでもいいから
キャリアは捨てない、あきらめない
個別相談をお受けしています。
お気軽にどうぞ (^^♪
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